南アフリカ黒人隔離政策の歴史を知るために『アパルトヘイトミュージアム』へ

ちょくです!

アフリカを7か月かけて縦断中のおだやんとちょく。

この日はアフリカ大陸最後の地・南アフリカで、ずっと行きたかった「アパルトヘイトミュージアム」へ行ってきました。

アパルトヘイトとは

今回おだやんとちょくが訪れたのは、世界最恐都市と言われるヨハネスブルク。

ヨハネスブルクは「世界一治安が悪い」「街を10分歩いたら刺される」「レイプ犯罪率世界一位」など、良い噂を全然聞かない。しまいには現地人からも「ヨハネスブルクは近寄らない方が良い」と言われる始末。信憑性の方は定かではないけれど治安が悪いのは確かだろうし、「レイプ犯罪率世界一位」というのはデータ上本当らしい。

本来であれば、こういう場所には絶対に行かないおだやんとちょく。

でも今回は治安面の不安があってもこの地に行きたい理由があった。

それが、

「アパルトヘイトミュージアム」。

アパルトヘイトは下記の通り、白人と非白人を隔離する人種隔離政策のこと。

アパルトヘイト(Apartheid[注 1])は、アフリカーンス語で「分離、隔離」を意味する言葉で、特に南アフリカ共和国における白人と非白人(黒人、インド、パキスタン、マレーシアなどからのアジア系住民や、カラードとよばれる混血民)の諸関係を規定する人種隔離政策のことを指す。

かねてから数々の人種差別的立法のあった南アフリカにおいて1948年に法制として確立され、以後強力に推進されたが、1994年全人種による初の総選挙が行われ、この制度は撤廃された。

ウィキペディアより

驚くことに、制度が廃止されたのは1994年(平成6年)。

人種差別や奴隷解放運動ってどうしても「ちょっと昔のこと」と感じてしまうけど、南アフリカでは本当につい最近まで人種隔離があり、まだ廃止されてから20年ちょいしかたっていない事実。

このアパルトヘイトに関する博物館がヨハネスブルクにあると聞き行くことにしました。

 

治安最恐都市を死に物狂いで移動する

今回はジンバブエからケープタウンに移動する途中で「ヨハネスブルクでバスを乗り換え、一日滞在する時間」が出来たのでこの日中の時間を使ってアパルトヘイトミュージアムに行くことに。

まずヨハネスブルクには夜行バスが到着したのが朝6時。

ジンバブエのブラワヨを16時に出発し、はるばる14時間かけてヨハネスまで来た。14時間もバスに乗ると「ああ腰が~!」となるかと思いきや、南アフリカのバスは快適だったな。これまで数々のオンボロバスで鍛えられたから、その成果が出てきたのかもしれん。

さて、アパルトヘイトミュージアムのオープンは朝9時。まだ時間があるのでバスターミナル内でできることをやっていく。

まずはバックパックのデポジット!

大きなバックパックを背負って街中を歩くのはかなり目立ってしまうので日中は荷物預かりサービスに預けることに。バスターミナル内に複数あるので私たちはM&L CLOCK ROOMに預けた。一つ10R(78円)。

身軽になったところでベンチで朝ごはんを済ませて移動を開始。

死に物狂いの移動とあるけど、基本はタクシー移動なので特に走ったり過激なことをするわけではない。でも内心冷や冷やで精神的には死に物狂い。こんなに生きた心地のしない移動は久々だよ・・・。

タクシーは今はやりのウーバーで呼び外で待機。この時間が一番心臓に悪い。タクシーが来たら速攻で乗り込む。

待ち合わせ場所でなかなかタクシーの運転手さんと落ち合えず手こずったんだけど、やっと会えて車に乗ったら「ここら辺は本当に危ないから次からちゃんと待ち合わせした方が良いよ!」と注意され、さらには「タクシー運転してる俺らも危ないからスムーズにやってくれないと困るよ」とプチ怒られてしまった・・。

タクシーの運転手も車を狙われる可能性があるから、この周りをやたらむやみにグルグルしたくないとのこと。自分たちの身の安全ばかりに気を取られていたけど、タクシーの運ちゃんも危険な目に合わせてしまうところだったと思い反省・・・。っというか、現地人もビクビクするターミナルっておっかなすぎ!

そんな会話をしながら、ヨハネスブルクの街を走る。

一見普通の街のようだけど、歩いている人は見かけない。

タクシーは75R(約587円)でアパルトヘイトミュージアムに到着。

ケープタウン行きの夜行バスが今夜18時発なので、15時をめどにアパルトヘイトミュージアムへ!

アパルトヘイトミュージアム

黒と白の文字で書かれた、アパルトヘイトミュージアムの文字。

入場料は大人ひとり85R(約666円)。

こんな歴史的な博物館が1000円以下だなんて・・・。多くの人に見てほしいってことなのかな。大型バスも数台あったから、学校教育の一環で訪れたりもするみたい。

入場料を払ったらチケットもらって入口へ。

チケットには「NON-WHITES(白人以外)」「WHITES(白人)」の文字が書かれている。

実はアパルトヘイトミュージアムは入口から始まっている。

このミュージアムは入口が白人専用・非白人専用と二つある。自分のチケットが「白人」と書かれていたら白人専用の入口から入る仕組みになっている。

チケット自体はランダムに振り分けられるみたいだけど、入口ひとつとっても肌の色で区分けされる感覚がとても奇妙な感じ。入るところから差別が始まっている博物館は初めて。

「え、なにこれ・・」と思うけど、実際にあったことだからさらに驚きを隠せない。扉をくぐるとき、何とも言えない気持ちになった。

博物館は室内と屋外、それぞれ展示がある。

外の通路を歩いていくと、黒人の方々の後姿を描いた鏡が置かれていた。人の数だけドラマがあり悲しみや苦しみがあったのかな・・と思うとなんとも言えない気持ちになる。一歩一歩が重くなる。

博物館内は基本的に撮影ができる雰囲気ではなかったので、写真はほとんどありません。

とにかく膨大な量の展示で、一日あっても見切れないほどのボリュームでした。そして一つ一つの展示が圧倒される内容でとにかく濃い。ちゃんと見ようとしたら3日は必要だと思う。

『1985年に書類上人種が変わった人(カメレオン)は1000人以上いたが、黒人が白人に変わった例、白人が黒人に変わった例は一つもなかった』。そもそも書類上で人種を分ける意味って何だろう。

アパルトヘイト政策の特徴は、白人の優遇と有色人種への制限。

白人に対しては、参政権、環境のよい居住区、高いレベルの教育、衛生管理と医療設備が完備された施設などが与えられるような法整備がおこなわれ、また給料も黒人の6倍から21倍もの額を支給されていたそう。

一方の黒人や有色人種へは、参政権のはく奪、異なる人種間の恋愛・結婚の禁止、居住地域の限定・分離、身分証明書の携帯の義務付け、施設の利用の制限などの措置がとられたそう。

どう考えても「白人有利」な状況を作り上げていく施策の数々。当時南アフリカ共和国は人口の15%ほどしか白人がいなかったのにも関わらず、その少数派の白人が中心の国が作り上げられてしまった。

そもそもアパルトヘイトの始まりの一つは、「鉱山」。

1960年代に世界最大の金脈が発見され、大勢の白人が大きな夢をみて南アフリカを訪れた。安い労働力欲しさや、鉱山への欲望のしわ寄せが現地人の黒人たちに少しずつ現れじわりじわり隔離が始まっていったように感じる。

博物館は南アフリカの歴史、アパルトヘイトの始まり、そして後半はネルソン・マンデラの反アパルトヘイト運動について展示されていて、一番感動したのはネルソン・マンデラの言葉の数々だった。

私は生涯の間、アフリカの人々の闘いに専念しました。
私は白人の支配と戦い、私は黒人の支配と戦いました。
私は、民主主義的で、自由な社会の中で、全ての人に平等な機会が与えられることを望んでいます。
これを、私が生きている間に見届けることが理想です。
しかし、私はこのために必要ならば、死ぬ準備ができています。
ーネルソン・マンデラ

教育とは、世界を変えるために用いることができる、最も強力な武器である。
ーネルソン・マンデラ

奴隷制やアパルトヘイトと同様に、貧困は自然のものではなく、人間から発生したものだ。
よって貧困は、人類の手で克服し、根絶できる。
ーネルソン・マンデラ

ネルソン・マンデラは大学時代に反アパルトヘイト運動に参加、運動を本格化したのちに逮捕され、その後30年もの投獄生活を送る。釈放後に大統領となりアパルトヘイト終焉に尽力した人物。

彼の反アパルトヘイト運動の特徴は「反撃や仕返し」をせず「平和と平等」を求めて諦めず歩み寄ったこと。

ひどいことをされたらどうしても「こらしめてやる!」「仕返しだ!」となってしまいがちだけど、そうしなかったのがネルソン・マンデラ。それだけで彼がどれだけ偉大か分かると思う。

・・・

展示の内容は膨大なのですべてをここに明記することは難しいけど、一つ言えることはこの博物館が本当に素晴らしいということ。人生に一度は訪れて損はない、そんな場所。

何よりネルソン・マンデラ(のちのマンデラ大統領)の言葉の数々には心を突き動かされ感動しっぱなしだった。こんなに中立で平和を追求する人がこの世にいたのかと、目頭が熱くなった。

あまりにも大きなテーマなため一日で理解できるものではなかったけど、いろんなことを考えるきっかけになる一日になった。最後には「FREEDOM」の大きな文字。

差別や隔離が起こる背景にはいつも「する側の欲望」がちらついている気がする。

欲望が大きくなったり上手くいったりすると、それを守りたくなるのが人間。そんな考えが弱者の首を絞めていく仕組みを作ってしまうのだなと個人的に思った。

アパルトヘイトミュージアムは過去の歴史もそうだけど、これからの未来にも通じることが沢山あった。もし南アフリカを訪れる機会があれば、治安に気を付けてぜひ行ってほしいと思います。

・・・

明日からはまた南アフリカ旅編!

続く!

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